お寄せいただいた多くの作品が、それぞれの生活や体験を通して、医療や福祉に目を向けるきっかけとなったエピソードや思いを綴った、すぐれた作品でした。
氏名 | 近常 綾香(チカツネ アヤカ) |
---|---|
作品名 | 私がもらった大切な言葉 |
学校名 | 長野県・佐久長聖高等学校 2年 |
作品(PDF) |
氏名 | 須藤 優斗(スドウ ユウト) |
---|---|
作品名 | 「生きる」という選択~強くなるために~ |
学校名 | 埼玉県立宮代特別支援学校高等部 3年 |
作品(PDF) |
氏名 | 常盤 りお(トキワ リオ) |
---|---|
作品名 | 相棒・私の耳 |
学校名 | 神奈川県・横浜市立ろう特別支援学校高等部 3年 |
作品(PDF) |
氏名 | 清家 冴(セイケ サエ) |
---|---|
作品名 | 普通で特別な母 |
学校名 | 静岡県立韮山高等学校 1年 |
作品(PDF) |
氏名 | 吉本 美歩(ヨシモト ミユ) |
---|---|
作品名 | 「生きること」―骨髄ドナーを体験して― |
学校名 | 東京都・女子学院高等学校 1年 |
作品(PDF) |
氏名 | 飯村 和佳奈(イイムラ ワカナ) |
---|---|
作品名 | 失って気づいた大切なコト |
学校名 | 福島県立白河旭高等学校 2年 |
作品(PDF) |
氏名 | 岩佐 雅(イワサ ミヤビ) |
---|---|
作品名 | これからも一緒に |
学校名 | 栃木県立宇都宮女子高等学校 2年 |
作品(PDF) |
氏名 | 菊池 日菜乃(キクチ ヒナノ) |
---|---|
作品名 | 生きている奇跡 |
学校名 | 福岡県・大和青藍高等学校 1年 |
作品(PDF) |
氏名 | 武石 杏奈(タケイシ アンナ) |
---|---|
作品名 | 音のない世界 |
学校名 | 神奈川県・横浜市立ろう特別支援学校高等部 2年 |
作品(PDF) |
氏名 | 中尾 航(ナカオ コウ) |
---|---|
作品名 | 言語を超えた思いやり |
学校名 | 和歌山県・智辯学園和歌山高等学校 1年 |
作品(PDF) |
都道府県 | 青森県 |
---|---|
学校名 | 青森県立八戸北高等学校 |
都道府県 | 茨城県 |
---|---|
学校名 | 江戸川学園取手高等学校 |
都道府県 | 栃木県 |
---|---|
学校名 | 宇都宮文星女子高等学校 |
都道府県 | 千葉県 |
---|---|
学校名 | 日出学園高等学校 |
都道府県 | 東京都 |
---|---|
学校名 | 東京都立国際高等学校 |
都道府県 | 佐賀県 |
---|---|
学校名 | 佐賀県佐賀清和高等学校 |
都道府県 | 沖縄県 |
---|---|
学校名 | 沖縄県立名護高等学校 |
昨年実施した「第9回『共に生きる社会』めざして 高校生作文コンテスト」において、
最優秀賞、優秀賞、佳作を受賞した5名が、副賞の「ベトナム医療福祉体験ツアー」に参加し、ホーチミン市を訪れました。
参加者は、現地の医療福祉の実情を垣間見るとともに、さまざまな文化や習慣に触れるなど多くの貴重な体験をしました。
【日程】
2019年3月24日(日)~3月29日(金)
【主な訪問先】
国立チョーライ病院、JICA南部事務所、在ホーチミン日本国総領事館、身体障害児童施設、ホーチミン市内・郊外視察
(メコンデルタ アオザイ博物館、サイゴン大聖堂、戦争証跡博物館、統一会堂 など)
近常 綾香
今回、ベトナムの医療現場に触れられたことは、医療の道を志す私にとって大きな経験になりました。関係者の皆様、貴重な機会を与えていただき、ありがとうございます。
昨夏、カンボジアへ医療ボランティアに行った友人から、途上国の医療の現状を教えてもらいました。ベトナムの医療現場は日本と比べてどう違うのか、自分の目で見て、現地でしか聞けない生の声を聴いてこようと思いました。そんな中、チョーライ病院で見た光景は、環境も医療システムも日本とは大きくかけ離れていて、驚きの連続でした。
日本では入院の際には完全看護が浸透し、家族の面会時間も限られています。それに対し、ベトナムでは患者さんの家族が誰かしら常に付き添っていると聞きました。チョーライ病院の医療従事者数は、日本の同規模の病院の半数程度と圧倒的な人手不足ですが、日本のナースコールの役割や身の回りの世話を家族が担うことで、少人数の看護師さんが大勢の患者さんを担当し、現在の医療レベルを維持しているそうです。
また、設備の違いも大きかったです。チョーライ病院のような国有数の大病院でも、ベッド数を患者数が上回るオーバーベッドが起こり、ベッドの間に簡易ベッドが所狭しと並んでいます。本来安静であるべき患者さんの状況とは程遠く見えました。これは都市部にある大病院への患者集中に起因するのだそうです。より良い医療を求めるあまり、地方の病院でも診療できる症状の患者さんがチョーライ病院へ集まってきてしまうのです。この状況を見た時、地方病院の医療環境の底上げと、正しい情報の普及がこれからの課題になるのではないかと感じました。
病院見学の後に訪れた、在ホーチミン日本国総領事館とJICAでは国際協力に関するお話をうかがいました。現在日本は、ベトナムの様々な取り組みに資金援助をしているそうです。数年後開院予定のチョーライ日越友好病院の建設もそのひとつです。現在のチョーライ病院にある検査機器にも日本から提供されているものが数多く見られました。
帰国して両親と話す中で、現在のベトナムの医療環境は数十年前の日本の医療環境と似ていると感じました。そして現地でうかがったベトナムが必要としている国際協力の話と合わせ、自分なりの答えが見つかった気がします。日本は長年の積み重ねで医療の知識と経験を豊富に持っています。その情報を提示し、ベトナムの方が望む医療環境を作る手助けをすることで、日本とベトナムが共に生きる社会を作っていけるのではないかと思いました。身体障害児施設でハイタッチした子供たちの笑顔がこれからもずっと続くよう、一緒に考えていける社会が私の理想です。
未熟な私ですが、国内はもちろん、世界の人々の健康に貢献するため、知識も経験も積み重ね、医療人として提供できる選択肢をたくさん蓄えられるよう学んでいきたいです。
須藤 優斗
今回、このような貴重な経験をさせて頂くに当たって、作文をご指導頂いた高校の先生や国際医療福祉大学の関係者の皆様、ベトナムにて案内して頂いた各施設の関係者の皆様、そして5日間を共にした吉岡先生や様々な場面で手を貸してくれた4人の受賞者の皆様に心から感謝申し上げます。
私にとって、今回が初めての海外旅行でした。異国の地で日本とは異なる文化に触れることが出来ました。研修ツアーで訪れたチョーライ病院では、日本の医療機関との圧倒的な差に驚かされました。障がい者施設を訪れた際には、障がい者の立場としてベトナムの福祉の現状に自分が受けている福祉サービスの充実さに改めて感謝しました。
また、この医療福祉研修ツアーで私が一番学んだことは、かつての日本も今のベトナムと共通するところがあったということです。今から70数年前の日本も戦争という迷路をやっと抜け出すことが出来ました。その後の経済発展やインフラ整備の発展は著しく、オリンピック開催を機に各国から注目を集めていました。恐らく約70年前の日本が今のベトナムです。ベトナム戦争からまだ40年しか経っていませんが、経済成長率は凄まじい勢いで上昇しています。
私は医療分野ではなく建築という道に進みましたが、この経験を支えにして、医療福祉分野に建築の観点から携わっていきたいと思います。そして、いつかベトナム発展の一員として、ベトナムの地にに戻ろうと強く思います。
常盤 りお
「偽りのない優しさとは」
幸せとは何だろうか?五日間ベトナムを訪れたとき、幾度も考えた。日本の文化とは違った文化をこの目で実際に見てきた。目で見えている風景は夢ではなく現実だ。その現実とは想像を遥かに超え、衝撃的で声を失った。その都度、この人達は幸せなのかをふと疑問に思う。その人達にとって当たり前が日本育ちの私にとっては当たり前ではない。
例えば、日本の病院は近所の病院に行き、一時間程度で対処してくれる。だがベトナムにあるチョーライ病院は患者が大勢いるため、数時間持たないと対処してくれない。日本の倍だ。日本では当たり前ではない反面、素敵なことがある。
それは、家族がずっと患者に付き添ってくれること。ナースコールがないため、患者に異変を感じたら変わりに家族が看護師を呼びに行く。朝から夜遅くまで毎日側にいてくれる。こんな温かい家族愛は日本にあるのだろうか。
表面を見れば、日本と比べて貧困で治安が悪いと思われがちだが、その背景には強い家族愛があった。
次に、最も心に響いたことがある。それはチョーライ病院のリハビリセンターで手がマヒしているおじいちゃんと共に手を動かし、リハビリをこなす。リハビリをクリアすると作業療法の方が、笑顔でおじいちゃんに声をかける姿。
そして、身体障害児童施設では、外国人の方が障害のある子ども達に笑顔で話しかける。話しかけられている子ども達は嬉しそうだ。その姿を見て心がとても温かくなった。その笑顔には偽りがなく、その人と向き合おうとしている。側で見ていた私もほほえんでしまうほどその笑顔は温かく魅力的だった。
ベトナムで私はたくさんの優しさと笑顔に触れた。もちろん残酷なこともあった。だが、その残酷が優しさと笑顔に触れることによって少しずつ前向きに変わっていくように思えた。
ベトナムの治安は悪くないと思う。金を多く取る裏には何か事情があるのかもしれない。皆生きていくのに必死なのだとこの国で見てそう感じた。
ベトナムを訪ねてから私の考え方が広がった。物事の表面を見るのではなく、その裏を見ることを意識するようになった。
ベトナムで学んだことを今後に活かしたい。そして将来教員になったときは、子ども達にベトナムのことを話していきたいと思う。
この手で子ども達の笑顔を守っていきたい。私ができることは何かを考えていきたい。
清家 冴
私は、春休みにベトナム・ホーチミン市を医療福祉体験のために訪れました。将来の進路として、医療や福祉の分野を想定していなかった私ですが、今回の研修で私の進もうと考えている道にも医療や福祉の分野がつながるかもしれないと気づきました。
医療施設の見学でチョーライ病院を訪問しました。病院内に足を踏み入れて、最初に驚いたのは人の多さです。私は、日本の病院であんなにたくさんの人が集まっている様子を見たことがありません。チョーライ病院では、医療を求めてやってくる患者さんを、経済状況にかかわらずすべて受け入れる努力をしているそうです。ですから、患者さんが多すぎてベッドが足りていない状況が見てとれました。院内の廊下や屋外に近い通路など、スペースがあるところにはストレッチャーを置いてベッドの数を補っていました。このような環境なので、ベッドとベッドの間に壁やカーテンの仕切りはなく、冷房の設備もありません。それでもこれだけの患者さんが病院を訪れるのは、医療を求める切実な思いとチョーライ病院への信頼があるからだと思いました。
また、入院患者さんにはずっと家族が付き添っていて、日本の看護師の役割を家族が一部担って協力して成り立っていました。これも患者さんの数が多すぎて、医療従事者の手が足りないという課題なのですが、どの患者さんにもそれぞれの家族が付き、支え合っているベトナムの文化は、すてきなよい面でもあるのかなと思いました。
それにしても、静かさが求められる病院の見学中も聞こえてくる車やバイクのクラクションはどうにかならないものかと思いました。実際のホーチミン市内に出てみると、私にはバイクが交通ルールをまったく気にせず走っているように見えました。私は臆病なので、今回のツアー中、自分でタイミングをはかって道を渡る勇気はありませんでした。私たちが道路を渡り切るまでにも、歩行者と歩行者の間をバイクがするっと走り抜けていくのでとても怖い思いをしました。
聞くところによると、ホーチミン市の人口860万人中740万人もの人がバイクを所持しているそうです。病院に訪れる患者さんの50%が交通事故による脳挫傷で、私が救急施設を見学しているときにも大けがをされた患者さんが運び込まれました。数年前にヘルメットの義務化が進み、これでも少なくなってきたのだそうです。私は、交通ルールが整えば、けがで病院を訪れる患者さんが減り、今よりよい環境で医療技術が発揮できるのではないかと考えました。
他にも児童福祉施設や人間ドックの最新設備、JICAや総領事館、ベトナムの歴史を学ぶ博物館などで貴重な出会いと体験をさせていただきました。児童福祉施設の子どもがプレゼントしてくれた手作りのブレスレットが宝物になりました。今回の体験に導いてくださった多くのみなさんに感謝します。
吉本 美歩
空港に着いた時に感じた特有の強い湿気で私はいよいよベトナムに着いたんだ、と実感し期待に胸をふくらませた。
今回の研修で私は自分のよく知らない国や文化をより身近に感じ、そこから自分の経験になるように学ぶことを目標としていた。そして南部最大の総合病院であるチョーライ病院を約2日半見学して、私は初めて見る光景に衝撃を受けた。まず入院患者の大多数は看護師ではなく家族に面倒をみてもらう状態が当たり前で、家族着用の黄色いユニホームが存在し、ナースコールという物が存在しないのだ。そしてそのために病院内は運ばれてくる患者やその家族など人々で溢れ返っていた。また館内には冷房設備が設置されていないところもある。大きなファンが回り、人が飽和状態になっている外来病棟は特に熱気が凄まじく、気分が悪くなっている患者さんも見受けられた。病室にも空きスペースがないので入院患者のベット間隔は1cmあるかないか程度だった。なぜこんなに人で溢れているかと言うと、ベトナムでは近年の経済発展に伴い、人口が増加しているのに対して、医者や看護師の人手不足し医療器具が完備されていないからだ。具体的には、病棟だと患者は130人程で医者や看護師は日中は20人、夜勤は7人程だ。この数値はおよそ日本の半分の人員である。さらにベットも不足しているので、ストレッチャーで代用されていた。それから私が最も衝撃を受けたのは緊急救命センターと外科病棟だ。なぜなら、両者共に外と繋がっている空間にあり、外科病棟はもはやビニール布1枚で囲われた屋外であった。救命センターには1日350人の人が運ばれてきて、その殆どの原因はバイク事故の頭部損傷ないし転落だそうだ。もちろん冷房はなく天井にファンがあるだけだ。かろうじて、ICUには冷房が設置されていた。他にもリハビリ室を見学させてもらった。リハビリには身体機能の訓練、細かい動きなどする作業療法と基礎的な動きをする理学療法があり、脳卒中や骨折の方が多く通っているそうだ。
この見学を通して私はベトナムの医療の現状を「ひどい」と感じたが、最終日の勉強会の時にそれは少々異なるなと思った。ベトナムはまだ戦後まもなく、昔の日本と異なり米国の様な強力な支えがなく、国の制度や気候条件も日本とは違っている。それらを含めて考えると私がベトナムの医療を「ひどい」と言える要素は一つもない。
私は今のベトナムの医療に必要な事は医療スタッフの増加と設備の充足、チョーライ病院より小規模な病院の医療レベルの向上だと考える。それらに必要なのは、経済力と人員すなわち国際協力だ。最近新たにできた人間ドックは治療費は高いものの設備や技術は非常に充実していた。私は将来法学系の仕事をしたいと考えている。今回の経験を活かして法の分野で国際協力に貢献できるようになりたいと思った。
最後にツアーの企画をして下さった立花さん、引率して下さった吉岡先生、このツアーに携わった全ての人に感謝を伝えたいです。本当にこのような体験をさせて下さりありがとうございました!!
高校生作文コンテスト応募・問い合わせ先
〒102-0074 東京都千代田区九段南1-6-17千代田会館5階毎日企画サービス
『共に生きる社会』めざして 高校生作文コンテスト 事務局TEL:03-6265-6816
(土・日・祝日をのぞく10時~17時)