病気や障害を持つ人も健常な人も、お互いに認め合って暮らすことが出来る、「共に生きる社会」の実現を目指すこと。 これが本学の建学の精神です。次世代を担う高校生のみなさんにも、私たちのこの想いについて一緒に考えていただくきっかけになればと、本学では毎年、作文コンテストを開催しています。
第4回目を迎えた本年度は5月15日から9月13日まで作文募集が行われ、高校生個人から、また高校からは団体で、多くの作品の応募がありました。

審査結果

個人賞

賞名 氏名 作品名 学校名 作文(PDF)
最優秀賞 與儀 龍

想いの形

沖縄県 沖縄県立名護高等学校 3年
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優秀賞 髙橋 すず

よしくん

兵庫県 啓明学院高等学校 2年
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優秀賞 箱田 麻実

私のハラボジ-命の教え

広島県 盈進高等学校 2年
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佳作 浅香 友貴

やさしさの形

東京都 大妻高等学校 2年
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佳作 石原 京
小さなレディーの美徳
東京都 渋谷教育学園渋谷高等学校 1年
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入選 板橋 佑夏

共有すること

宮城県 常盤木学園高等学校 1年
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入選 小倉 沙弥

相手の立場で考えること

神奈川県 横浜共立学園高等学校 1年
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入選 櫻井 襟香

経験から得た思い

宮城県 常盤木学園高等学校 2年
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入選 田幡 夏海

福島の人々に会って考えたこと

東京都 東洋英和女学院高等部 1年
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入選 山内 春奈

世界の見方の変化

茨城県 茨城県立太田第一高等学校 3年
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※各賞受賞者のお名前は、五十音順で記載しています。(敬称略)


学校賞

学校
栃木

栃木県立小山城南高等学校

群馬

群馬県立吾妻高等学校

茨城

茨城県立水海道第一高等学校

千葉

千葉国際高等学校

神奈川
鶴見大学附属高等学校
神奈川
横浜共立学園高等学校
福岡

福岡県立久留米筑水高等学校


審査委員

北島 政樹

国際医療福祉大学学長(審査委員長)

矢﨑 義雄

国際医療福祉大学総長

金澤 一郎

国際医療福祉大学大学院長

丸山 仁司

国際医療福祉大学副学長

桃井 眞里子
国際医療福祉大学副学長
久常 節子
国際医療福祉大学大学院副大学院長
前野 一雄

国際医療福祉大学総合教育センター長

和田 秀樹

国際医療福祉大学大学院教授

冠木 雅夫

毎日新聞社専門編集委員

「ベトナム医療福祉体験ツアー」報告

参加者: 與儀 龍さん
髙橋 すずさん
箱田 麻実さん
浅香 友貴さん
石原 京さん
期 間: 2014年3月20日~25日
内 容: 1日目 成田 → ホーチミン市へ
2日目 ホーチミン市滞在
 ・チョーライ病院訪問 レクチャー受講、見学、病院実習
 ・障害児社会支援施設見学、実習 
 ・チョーライ病院主催食事会
3日目 ホーチミン市滞在
 ・市内観光ポイント視察
 ・日中友好病院見学
  ドンコイ通り、ベンダイン市場、統一会堂、聖母マリア教会、
  ホーチミン博物館、戦争博物館 など
4日目 ホーチミン市滞在
 ・郊外視察
  メコン川クルーズ、戦争関連施設訪問
5日目  ・在ホーチミン日本国総領事館訪問
 ・JICAホーチミン事務所訪問
 ・チョーライ病院訪問 レクチャー受講、見学、病院実習
 ・参加者勉強会の実施 ツアーのまとめ、知識や経験の共有など
ホーチミン市 → 成田へ
6日目 成田空港到着 着後解散

ツアーの様子 (クリックして拡大できます)

参加者レポート

医師になる夢を心に誓った旅 與儀 龍 (沖縄県立名護高等学校3年)

ドキドキ、ワクワクと高鳴る私の胸。初めての海外へ向け、私は沖縄から飛びたちました。東京に着くと気温の差にハラハラしましたが、皆と合流し、希望を胸にベトナムへ向かいました。病気を抱える私にとって、貴重な時間の幕開けでした。

病院…清潔な環境でスムーズに診察から入院、治療を行ってもらえる場所。それが当たり前だと思っていました。そんな私にとって今回のベトナム研修は、病院や医療への考え方を変えるとても素晴らしい体験だったと実感しています。

まずチョーライ病院では、院内見学や病院が設立されてから今に至るまでの歴史をお話していただきました。実際に院内を見学して驚きました。なぜなら、日本の病院とは大きく異なっている点があったからです。それは、患者さんの数に対してベッドが不足しており、2人で一つのベッドを共用していたり、カーテンや壁といった仕切りがほとんどなかったりしたことです。日本では見られない光景を目の当たりにして、言葉を失いました。さらに場所にもよりますが、環境はあまり衛生的とは言えません。しかし、看護師長さんや他の病院関係者の方々の話や働く姿を見て、患者さんに対する思いやりが伝わってきました。他にも、障害児社会支援施設やベトナム戦争関連施設の見学をし、人の生と死や過ち、そして障害を持つ人に対する考え方を学べたような気がします。

たくさんのことを学び経験してきましたが、楽しい思い出もたくさん作れました。私はメコン川クルーズや観光、ショッピングが楽しかったです。都心部と郊外の違いには驚きました。 やはり、一番印象的だったのは交通量の多さ。しかし、そのほとんどがバイクでした。道路には信号がほとんどなく、制限速度も定められていない気がしました。その為、事故による患者さんが多くを占めているようです。ホテルでの朝食もなかなか印象的で、朝からベトナムの料理を楽しむことができるようになっていました。レストラン等での食事を通して、色彩の豊さや食材を生かし細やかな飾り切りは、感動のオンパレード。同行の女性陣がお互いの部屋に行き来するなどして、楽しんでいたのも記憶に新しいです。

実は私、大学受験のストレスで、出発の3日前までⅠ型糖尿病による「ケトンアシドーシス」で入院をしていました。Ⅰ型糖尿病と共存して10年で初体験。ベトナムへ行くために体調を整えて出発したのですが、環境の変化についていけず、体調をくずしチョーライ病院で受診。本当の医療体験をすることに。不安な私に対して、親切に対応する医療の現場の方々にふれてみて、温かい心は万国共通だということを実感しました。

今回、ベトナムへ行くことができて本当によかったと思っています。私自身の考える医療の在り方や気持ちの持ち方、さらには世界観まで大きく変わり、研修前に比べ少しは成長できたと思っています。この体験を胸に、夢である「医師」になれるよう頑張りたいと心に誓った「私」です。

ベトナム・ホーチミン医療福祉体験ツアーを終えて 髙橋 すず (兵庫県 啓明学院高等学校2年)

死の瀬戸際にいる人を見て、強く生を感じるのはなぜだろう。チョーライ病院を視察している間、私はずっとこう感じていた。

ベトナムは私の予想よりずっと発展していた。夜は街全体がネオンでキラキラ輝いているし、iPhoneを持っている人もいた。マレーシアに行ったときは道路がきちんと舗装されておらず、たくさんの凸凹でバスが何度も揺れたが、ベトナムではそのようなことはなかった。日本との違いを感じる機会も想像していたより少なく、特に大きなカルチャーショックを感じることもなかった。

ベトナムに着いた当初はそんな印象を持っていたので、チョーライ病院での衝撃は相当なものだった。ストレッチャーで運ばれる患者さんとエレベーターで乗り合わせたり、簡単にICUに入れたり、日本ではあり得ないことがあふれている病院。ICUで看護師さんに「写真撮らなくていいの?」と聞かれたときは大きなカルチャーショックを受けた。診察や面会を待つ人でごった返し、階段の踊り場で寝ている多くの人々。ベッド数が足りていないのに、外国人向けの病室、それも個室でテレビやトイレなどが完備された病室は二部屋も余っていることに、大きなもどかしさを感じた。

発展途上国と呼ばれる国のエネルギーと矛盾を肌で感じたこのツアーは、どれもこれも勉強になることはかりだった。多くの素敵な人との出会いもあり、ベトナムが大好きになるとともに、日本という国のすばらしさも再認識できた。観光ツアーなどでは絶対に経験できないことがあふれていて、また同世代の意識の高い仲間や著名な先生方と話すのはとても刺激になった。このような本当に貴重な機会をいただけたことに心から感謝している。視野が広がり、私の人生の中でも大きくこれからを左右するだろう経験になった。

「すべてのヒーローになれるわけではないのよ」という桃井副学長先生の言葉を肝に銘じ、ただこの仕事がしたいという気持ちだけではなく、しっかりとした実力をつけ、一生働ける仕事に就きたい。

差別をなくす心、支援する心を学んだベトナムでの研修 箱田 麻実 (広島県 盈進高等学校2年)

私にとってベトナムでの医療福祉体験ツアーは学び深く、忘れられないものとなった。

この機会をいただくまで、私はベトナムについて何も知らなかった。しかし、将来は医療の道に進もうと考えている私は、ツアーの話を聞いたとき「とても勉強になりそうだな」と期待に胸を弾ませていた。「ベトナムに行ってどんな場所なのか自分の目で確かめたい」。楽しみな気持ちは日に日に増していった。

チョーライ病院での見学。ICU(=集中治療室)に入らせていただいた。補助装置がないと生きることができない人と初めて対面した。「怖くない?」と看護師さんに聞かれた。私のように自由に動き回ることはできないかもしれない。でも同じ命。優劣をつけることなんてできない。「怖くない」とはっきり思った。

障がい児施設での交流。子どもたちがかわいくてとても癒された。でも障がいをもっている子どもたちに対して、差別の目を向ける人もいる。施設の先生に質問した。「差別をなくすために必要なことはなんですか」「障がいをもたない子と差をつけないこと。もし周りの子についていけなければ、サポートをすること」。人と会って話して、その人のことを好きになったのなら、差別する心なんて芽生えるはずがない。誰のことも自分と線引きしない。そんな考え方が大切だと思った。

ベトナム戦争証跡歴史館。あまりにも残酷な戦争の様子・傷跡に絶句した。村人が無差別に殺されていく情景は日本が経験した先の戦争と重なってみえた。そして枯れ葉剤の被害。今でもベトナム国民の約75%は枯れ葉剤が遺伝子の中に組み込まれており、いつ症状が出るか分からない状況なのだそうだ。

JICAと日本総領事館。ベトナムに住みベトナムの発展のために働かれている職員さんからお話を伺った。「支援に重要なのは日本がその国の問題を全て解決することではない。支援を受けている国が、自ら発展していけるような支援にすることだ」。簡単なようで忘れがちなことだと思った。支援することが支援の目的になってはいけない。支援の目的は、相手が自らよりよく変わっていけるようにサポートをすること。支援活動をしている人だけでなく、どんな人にとっても忘れてはならない心得だと思う。

今回の学びの旅はあっという間だった。この機会がなければ、私は一生ベトナムに行くことはなかったと思う。この一回の旅で、ベトナムのひと・ものが大好きになった。現地に赴き、自分の目で見て、心で感じないとわからないことをたくさん得ることができた。旅を共にした仲間とは一生ものの友情が築けた。私はこの学びと経験を日本で生かしたい。そしていつか、今よりもよりよくなったベトナムに訪れたい。

ベトナムで感じた「心」 浅香 友貴 (東京都 大妻高等学校2年)

医療福祉体験ツアーを通して、私は多くのことを学びました。心に残ったことは大きく分けて三つ。チョーライ病院への訪問、障害児施設への訪問、そしてベトナム戦争博物館での見学です。

チョーライ病院は国内三大病院の一つであるものの、病院内外に溢れかえる人々や一つの部屋に押し込められた多くのベッドは病院不足と医療従事者の不足という深刻な問題を物語っていました。ベッド数が約1,800に対し、1日約2,400人が入院しているという事実、それに伴い2人で一つ、または3人で二つのベッドを使うという問題。日本では絶対に考えられないことで、医療が国の現状に追いついていないのを目の当たりにしました。ICUでは、生死の瀬戸際にある患者さんを見ました。緊迫した状況の中で命の重さを感じ、また同時に改めて、命と向き合う医療従事者への憧れの気持ちを抱きました。リハビリテーションの部屋では、「JICA」や「JAPAN」といったシールが貼られた器具が多くありました。日本の支援のお陰で本当に助かっています、ありがとうと何度も何度も言われた時は日本人として嬉しく思いました。

障害児施設では障害の有無に関わらず、現地の子と歌を歌い、ダンスをしました。言葉が通じないから行動や表情で示そう、その思いで私が手をさしのべたり、微笑んだりすると、子供たちは小さな手で私の手を掴んで集まってくれました。心が通っている、そう思うと急に胸が熱くなりました。

ベトナム戦争博物館では、傷を負った人や枯葉剤による奇形児の写真等が今なお戦争がもたらした悲劇を伝えています。写真一枚一枚に衝撃と苦しみを覚え、ベトナムの負の歴史を忘れない、そして伝えていくことが大切であると学びました。

6日間を通して、日本とベトナムの医療、文化、社会における違いを学びましたが、同時に共通点も私は学びました。それは、チョーライ病院の看護師長さんの言う「看護の心」と人の温かさです。私は、最初にチョーライ病院を訪れた時、看護師は医療的ケアをすることに手いっぱいだなと感じていました。けれど、根底にあるのは日本、ベトナムともに「看護の心」であることにはっと気づき、看護をしたいという思いを忘れまいと強く思いました。

そして私はこのツアーを通して考えたことがあります。それは医療面での国際協力です。ベトナムには医師、看護師の国家試験はありません。医療従事者の技術低下が問題視される中、正しい技術を身に付け教えることはベトナムに限らず世界中で医療問題を解決する有効な手段の一つとなると思ったからです。高校生の間にこうした経験をし、将来の夢を再考できたのは、大変意味のあることとなりました。「看護の心」を忘れず、良き医療人になりたいです。最後になりますが素敵な経験をさせていただき、感謝申し上げます。

「笑顔」での再会を祈って 石原 京 (東京都 渋谷教育学園渋谷高等学校1年)

3月末、私たちはいまだ肌寒さの残る東京を発った。ベトナムの地を踏み突如感じた熱気は、ベトナム特有の活気とエネルギーを象徴しているかのよう。そして、その瞬間から今回の旅は始まった。

この感想文を書こうとして、まず今回の研修で気づいたことや感じたことを書き出してみたが、1日目、2日目、3日目と順々に思い出していくうちに、気づけば紙は白い箇所をなくしていた。そんなたくさんの経験をした中で、私は日本に帰国してからずっと、ベトナムの方々の「笑顔」が忘れられない。訪問した病院のスタッフの方々や患者さんたちの笑顔、ガイドさんの笑顔、ホテルスタッフの方々の笑顔、島の子どもたちの笑顔。どのシーンを思い出しても必ず誰かの笑顔がある。この笑顔が決して作られたものではないことは、実際に接すれば言うまでもないことだ。そして、このたくさんの「笑顔」を守るために各国からの「支援」がある。

5日目に訪問したJICAで、現在ベトナムへは、日本だけでなく多くの国からさまざまな分野においての「支援」が行われていることを知った。ベトナムの人々の安全を守るため、子どもたちの学習への意欲を奪わないため、現状では救えない命を救うため…。「支援」は必要不可欠であり、素晴らしい活動であることは確かだ。しかし一方で、私はこの「支援」がベトナムの未来に大きく関与しすぎていることに危機感を覚えた。この「支援」が例えば医療や交通機関、企業など数ある分野の内、どの分野に偏るかによってベトナムの行く末は左右されてしまう。それは行き過ぎればベトナムの国民性を壊し、守りたかったはずの「笑顔」を「泣き顔」に変えてしまうかもしれない。それほどまでに各国からの「支援」は大きな力とともに、正反対の表情を持っていることを常に忘れてはいけないと思った。

一見良いように見えても、実はその反対の性質も持っていることは多数ある。「若者の人口が多い」ということは、労働力があるということを示し、実に活気がある。しかし反対に、経験豊富な世代が少ないため、指導する側の人間が不足しているという現状も示している。先ほど述べた「支援」についても同じことである。これから大人になり、次世代の子どもたちを守る立場になった時、この相反する性質を見抜く力が必要不可欠になってくることを今回の研修の中で強く認識した。このような貴重な経験をさせてくださった全ての方々に心から感謝している。将来またどこかで再会した時、変わらない「笑顔」で笑いあえることを祈っている。

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